For a Peaceful, Just, and Sustainable World Free of Nuclear Weapons, Military Bases and War Womens Peace Fund Contributes to Developing Cooperation and Solidarity between Women of Japan and Women All around the World
September 11th Families for Peaceful Tomorrows, USA
International Symposium
戦争も核兵器もない平和で公正な世界へ‐いま女性たちの連帯と行動のとき
アッサラーム・オ・アライクム。あなたに平安がありますように。
私はこの場にいることを、大変光栄に思っています。私は女性としてだけでなく、モハマド・サルマン・ハムダニの母親として、みなさんの前にいます。サルマンは2001年9月11日、あの運命の火曜日に、世界貿易センターに向かいました。人種、民族、信仰や肌の色の違いを超えて同胞であるアメリカ人を救うために。彼はそこへ行く必要はありませんでした。しかし、私の息子サルマンは、そういう人でした。彼は誰であれ、苦しんでいるのを見ていることができませんでした。私たちには他の人が苦しんでいるのを見ていることができても、彼は自分の痛みとして感じました。ですから、子どもの頃、彼はしょっちゅう病気の動物や鳥を連れて帰ったものでした。そうした動物や鳥たちの世話をして、元気になると放してやりました。サルマンは、ニューヨーク市警察の実習生であり、救急救命士の資格をもっていました。そして彼はアメリカ人でした。帰化したアメリカ人、イスラム教徒のアメリカ人でした。そして彼の信仰が彼の運命を変え、私の運命を変えたのです。
サルマンは、同胞のアメリカ人を救うために尊い犠牲を払ったのですが、皮肉なことに、テロリストとして捜査の対象になりました。メディアがさまざまな憶測を流し、特にフォックス5とニューヨーク・ポストを経営するその関連会社はひどいものでした。彼に対する捜査の理由はただひとつ、信仰でした。6ヵ月後の2002年3月20日、私たちは彼の遺体が北側のビルで見つかったという公式の通知を受け取りました。私の人生が劇的に転換した瞬間でした。私は、自分がとても複雑な状況にあることに気づきました。私はイスラム教徒として自分の信仰を守ると同時に、私の国、アメリカを守ろうとしていたのです。
最終的にアメリカは、愛国者法の中で彼の勇気と犠牲を認めることによって、市民であるモハマド・サルマン・ハムダニに敬意を表しました。しかし、愛国者法は市民的自由を制限し、正当な法の手続きを停止し、国連の人権に関する条約とアメリカ憲法に違反する、とんでもない法律です。最初の子どもを失ったことと、その子がテロリストとして捜査されるという苦しみが、やがて大きな怒りにかわりました。そして夫と私は2002年の夏、「平和な明日をめざす9月11日家族の会」(ピースフル・トゥモローズ)と出会ったのです。そのときから、活動家として、9月11日以前には決して異議を唱えられることなどありえなかった自分自身の権利のためにたたかうイスラム教徒のアメリカ人としての、私の旅が始まったのです。
ピースフル・トゥモローズは、悲しみを平和のための行動にかえようと集まった9・11の犠牲者の遺族たちがつくった組織です。正義をもとめて非暴力の選択肢と行動を発展させ提唱することによって、私たちは戦争とテロが引き起こす暴力の連鎖を断ち切りたいと願っています。私たちの経験は、世界のいたるところで暴力の被害を受けているすべての人々に共通のものであるという認識にたち、私たちはすべての人にとってより安全でより平和な世界をつくるために活動しています。
ピースフル・トゥモローズは、以下のことをめざしています。
これらの目標を達成するために、ピースフル・トゥモローズはさまざまな活動をしています。私たちのメンバーはアフガニスタンやイラクを訪れ、戦争による人間性の破壊を見てきました。彼らは帰国後、イラク戦争に反対し議会への要請を行ないました。“アイズ・ワイド・オープン”(目を大きく開いて)という各地を回るプロジェクトでは、イラク戦争で殺された無実の民間人を象徴する1万を超える数の靴を展示します。許しについての意識を形成するために、許し”プロジェクトに協力しています。これは、加害者を許したラプスリー神父などの被害者に関する展示です。ピースフル・トゥモローズのメンバーは議会に行き、戦争に反対し、平和省の創設をもとめ、アメリカの外交および国内政策を平和と寛容をめざすものに転換するようもとめ、あるいは市民の自由や人権をもとめて、精力的に要請を行ないました。そして私たちは成果も得ています。昨年愛国者法の見直しが行なわれたとき、私たちは大変にまちがっているいくつかの条項について、議員に強力な働きかけをしました。愛国者法の残りの部分は4年間行進されることになりましたが、これらの条項について修正をかちとったのです。
9・11の5周年に、ピースフル・トゥモローズは国際平和会議を計画しています。目的は、暴力の連鎖を断ち切ることを選択した組織のネットワークを発展させ、会議から生まれるアイディアを普及する助けとなるような行動計画をつくることです。
9・11のテロ攻撃は、疑惑、不安、暴力と復讐の時代の到来を告げることになりました。アメリカは偉大な国です。正しく言いましょう。アメリカは地球上で最も偉大な国です。この国ほど、世界に向かって大きく手を広げている国はありません。それはトマス・ジェファーソンの国であり、ジョージ・ワシントン、アブラハム・リンカーン、ジョン・F・ケネディ、そしてマーティン・ルサー・キングの国です。ニューヨーク湾で、自由のたいまつとこの国にたどり着いた“貧しく、疲れ、体を寄せあう大衆”を守る憲法をもつ女神に迎えられた移民の国です。すべての硬貨と紙幣に「自由」と「私たちは神を信じる」と書かれている国です。ですから私は、アメリカがどこでどうまちがって、世界ののけものになってしまったのだろうと考えてしまうのです。「正義」と「自由」の国が、なぜいま混乱状態にあるのでしょうか?アメリカ人にとって最も安全な場所は、アメリカの国土にあります。イラクへ同盟者として行った私たちは、いまや現地の人々の標的になっています。土地も、そこに住む人々も、悪くありません。国の政策によって、敵意か友情のどちらが生まれるかが決まるのです。そしてそこで、まちがいが起こるのです。アメリカの政策、特に外交政策は、他の国々に対しもっと寛容であらねばなりません。また、民主主義や自由の名で無実の市民を憎んだり殺したりせよと教える宗教はありません。私は、現在の政権が戦争を始めた理由に同意しません。なぜなら、戦争を始める正当な理由などないからです。文明化された世界には、戦争はありえないのです。私たちは、野蛮な状態に逆戻りしているのでしょうか?あなたは、数十万の無実の市民を殺害することを正当化できますか?
あなたは、ファルージャやアル・グレイブで起こったことを許すことができるでしょうか?拷問は、残忍な人種の道具であり、絶対に認められないものです。悲しいことに、殺害、レイプ、拷問は戦争ではあたりまえのこととして行われます。戦争の痛みを受けるのは女性です。
私は息子ひとりを失った痛みに、いまなお苦しんでいます。消し去られた家族がいます。生き残った人々に何を言えるでしょうか?アメリカは、あなたの愛するものたちを殺すことであなたを助けているとでも?私は慈悲深き主であり、保護者であり、救助者である私の神に尋ねました。なぜあなたは私の息子と9・11の犠牲者3000人を守ってくださらなかったのですか、と。神はまた防止者でもあるので、なぜ9・11が起こるのを防いでくださらなかったのですか、とも尋ねました。打ちひしがれた夫は息子との別れに耐え切れず、2004年7月21日に亡くなりました。私の神は、正義の主であり、許しの主であり、平和をもたらす主でもあります。神は決して私に不正義を行うことはありません。神は報復と恨みではなく許しによって私に平和を与えてくださいました。人生は鏡です。あなたはあなた自身の姿を見、あなたが与えるものを受け取るのです。憎しみは憎しみを生み、愛は愛を生み出すのです。
信仰が私に耐える力を与えてくれました。イスラムは平和という意味です。聖なるコーランの第2章第62節に、神を信じるものはすべて、ユダヤ教徒もキリスト教徒もサビア教徒も、正しく、来世を信じるものはすべて、天国に行くと書かれています。国の力はそこに住む大衆の中にこそあるのです。アメリカ人はいま、目覚めつつあります。そして戦争や搾取、腐敗ではなく平和と正義を強く願っています。ザカリアス・ムサウイに対する判決は、アメリカのなんたるかを示しています。やはり9・11の世界貿易センタービル崩壊で息子を失ったアデル・ウェルティが、次のように言っています。
「今日アメリカは、自由と私たちが私たちのやり方とよぶものの勝利をかちとった。ザカリアス・ムサウイは、真に公平な判事と陪審員を前に公正な裁判を受けたあとで、執行猶予なしの終身刑の判決を言い渡された…。私たちすべてにとって、誇るべき日になった。正義がなされたのだ。」
自由の地であり勇敢さの本家であるこの国は、その本性を現すでしょう。その本性は色あせることはありません。移民の国は信頼と調和によって、再び平和になるでしょう。しかしこの調和を実現するために、私たちは意識的な努力をしなければなりません。9・11のテロ攻撃の後行われたことは、恐怖と無知によるものでした。イスラムはイスラムであるがゆえに非難され、世界中のイスラム教徒は十字架を背負っています。ヒットラーは信仰を持っていたはずですし、イエス・キリストは自分の弟子によって十字架にかけられました。それは彼らの属する人種全体にたいする差別を正当化するものにはなりません。サルマンが9・11の犠牲になったのは、彼がニューヨーク市警の実習生だったからでも、イスラム教徒であったからでもありません。サルマンはアメリカ人だったから、9・11の犠牲になったのです。ある人の信仰や人種や民族によって差別することは、道義にも人としての良心にも反することです。差別と固定観念による区別は、傲慢さと無知に原因があります。
現代文明は綱渡り状態です。信仰と文化の断層に沿って、歴史上再び文明の衝突が起こっています。歴史の流れを変えるために、私たちが今すぐ抜本的で本格的な手立てをとらなければ、滅びてしまうかもしれません。核兵器が私たちを絶滅する前に、廃絶しなければなりません。私たちはお互いを信頼し、互いの文化と信条を尊重しなければなりません。聖なるコーランには、あなたが不正義が行なわれるのを目にし、それを自覚しているならば、正す責任があると書かれています。コーランにはまた、他の人を抑圧したり、抑圧をよしとしてはならないとも書かれています。これは、息子サルマンが残したものでもあります。これは私の使命であり、私は必要なときはいつでも声をあげます。ここに集っているみなさんはとても勇敢な、勇気ある女性たちです。女性は道義的、感情的、精神的な力の本当の源です。戦争のつけを払う無実の人々は、私たちの子どもたちです。自分の子宮で彼らを育てた私たちは、母親として彼らを害悪から守る責任があります。後の世代のために、兵士たちに、無関心や誇りではなく思いやりと謙虚の道を、報復ではなく許しの道を、敵意ではなく友情の道を、差別ではなく尊重の道を、戦争ではなく平和の道を示さねばなりません。
アメリカの有名な詩人、ロバート・フロストの詩の一節を引用して私の発言を締めくくりたいと思います。
「道が森の中で二つに分かれていた。そして私は…
そして私はあまり人が通っていない道を選んだ。
そのためにどんなに大きな違いができたことか。」
文明もまた、暴力と報復と戦争の道か、平和と友情の道か、選択を迫られているのです。
みなさんに神のご加護がありますように。人類に神の慈悲がありますように。