For a Peaceful, Just, and Sustainable World Free of Nuclear Weapons, Military Bases and War Womens Peace Fund Contributes to Developing Cooperation and Solidarity between Women of Japan and Women All around the World
Military Families Speak Out / Gold Star Families Speak Out, USA
Japan Mothers’ Congress
今日みなさんとともにいることに感謝し、光栄に思います。この重要なつどいに招いてくださった女性平和基金と新婦人に感謝します。戦争から世界を守るために献身している、平和の心をもつ女性たちとご一緒できることを名誉に思っています。
私は、たくさんの団体が平和のために活動しているフィラデルフィアから来ました。フィラデルフィアには、アメリカで平和運動の先頭に立っているクエーカーの組織であるアメリカフレンズ奉仕委員会の本部があります。また、「イラク帰還兵の会」の本拠地でもありますが、これは悲惨なイラク戦争に反対する1000人のイラク帰還兵の団体です。
私は「声をあげる軍人家族の会」のメンバーです。愛する人たちがイラク戦争に巻き込まれ、戦争に強く反対している4000を超える家族で構成されている全国組織です。2002年、たった2家族での立ち上げたこの会は、今では毎週新しいメンバーを迎えています。これほど大きな組織に成長したのは、私たちの会が、間違った戦争に反対しようとしたとき、支援を得られる場所がほとんどないと気づいた家族たちを結びつけているからです。
常に反戦の立場をとってきた母親であり祖母である私は、みなさと同様に、いずれ子どもたちが直面するこの世界に深い懸念を持っています。私にとって母親であることは、人生最大の喜びであり、この様な展開になるとは思いもよりませんでした。
新婚当初、子どもをもちたいという私の願いは叶いそうもありませんでした。そこで1974年の服役軍人の日に、夫と私はシャーウッド・ベーカーという1歳の赤ちゃんを引き取りました。まもなく2人の実子を授かり、男の子3人の家族は活気にあふれ、賑やかでした。
私たち夫婦は、息子たちに良き市民になること、責任感を持ち誠実であること、正義と平和のために行動することを教えるよう、努力しました。兵器のおもちゃは持たせませんでした。子どもたちはたくさんのデモに行き、暴力に反対することを学びました。その後、成長した息子たち、福祉関係の仕事に就きました。シャーウッドは体の大きな、音楽を愛する優しい青年に育ちました。大学へ行き、結婚して息子も得ました。私たちは、彼のことをとても誇りに思っていました。
ですから、1997年にシャーウッドが州兵として入隊したと聞いたとき、私はどれほど驚いたことでしょう。州兵は州ごとに市民によって構成される予備部隊で、正規の軍隊ではありません。難色を示す私に対し息子は、「お母さん、州兵は外国の戦争に派兵されたりはしない。ペンシルバニアの州兵は1945年以後、ひとりも戦闘で死んではいないよ」と言いました。息子は家族を養い、奨学金を返済するために資金が必要だったのです。私は、州兵の従来の役割は地域を守り、災害時の救援であることもわかっていました。
私の家族は、“ピース・ファミリー”、平和の家族と呼んでいただければと思いますが、イラク侵攻に強く反対しており、私は息子がその戦争に巻き込まれるかもしれないと、恐れました。戦争に行かずにすむようにカナダへ逃がすことも相談しましたが、シャーウッドは神の前で宣誓をしたのだから、もし召集されたら戦地へ行って任務をはたし、仲間たちとともに無事に帰ってくると言いました。 2004年3月7日、彼がイラクへ出発したとき、弟たち、父親、そして母親の私は心が張り裂けるような思いでした。
私はフィラデルフィアで多くの平和団体とともに活動していましたが、2004年1月、「声をあげる軍人家族の会」に加わりました。会員どうし支え合っている会だったからです。会員の多くは現役軍人の母親や妻たちです。会は、インターネットを通じて全米各地や世界にある米軍基地など遠く離れている人々を繋いでいます。
しかし2004年4月26日、私の必死の祈りと抗議もむなしく、この世界は全く変わったものになってしまいました。
ある雨の夜、私は玄関先で胸に勲章を着けた軍人を迎えました。その人は「あなたはシャーウッド・ベーカーのお母様ですか」と尋ねてきました。私は最初、その人がなぜその様な質問をするのか理解できませんでした。
「シェーウッド・ベーカーのお母様ですか」と彼は繰り返しました。私は「はい」と答えその場に倒れ込み、誰かが叫び続けている声を聞いていました。
私は、古代の母親たちが経験したことが自分の身に起ったのだと気づきました。私の息子は戦死したのです。これは恐ろしくも、歴史上のあらゆる戦闘が死をともなうものであり、常に起ってきたことです。しかし、バグダッッドのある暑い日の朝、大量破壊兵器を捜索中の平氏を警備中、爆破され飛び散ったコンクリートが当たって死んだシャーウッド・ベーカーの死は、特別で最悪のできごとでした。息子は戦争で殺された、最初のペンシルバニア州兵になったのです。
耐えようのない、感情が麻痺したおそろしい日々のなかで、家族と私は、は戦争の真の犠牲の証言者になり、戦争が家族に何をもたらすのかについての真実と、事実を捻じ曲げて私の国をイラク侵攻に導いたことについて、声をあげることを決めたのです。
2004年当時、戦争反対を口にする兵士の家族は、ほとんどありませんでした。政治家たちはみなイラク戦争を擁護し、異議を唱える人たちを裏切り者と呼んでいました。2004年3月4日、イラクの砂漠から遠く離れた美しい共同墓地に息子を埋葬したとき、私はお墓に跪いて、口を閉ざすことなく息子のために真実を語ることを誓いました。イラク戦争は、アメリカ政府が犯した悲惨な間違いです。私たちの民主主義への裏切りであり、兵士に対する裏切り行為なのです。
シャーウッドを失ってからの4年3ヶ月の間に、私たち家族は全員、平和活動に積極的にとりくむようになりました。戦争に反対するだけでは不十分で、平和のために行動しなければないからです!私たちはみな、戦争を望む勢力がいることを理解しなければなりません。彼等は、戦争と高額の兵器から利益を得ています。そして、紛争に対しては互いに殺し合い、攻撃し、爆撃しあう以外に選択肢はないと、人々に信じ込ませています。ここにいらっしゃるみなさんはそういった事実を既にご存知だと思います。私たちは手を携えて、耳を傾けるすべての人々、とりわけ子どもたちに、真実を伝えなければなりません。
みなさんとは違い、アメリカの人々は、戦争の恐怖や破壊の記憶を持ち合わせていません。アメリカ本土での戦闘から143年も経っているからです。あまりにも多くのアメリカ人が、戦争の現実にふれていません。ですから、私たちの活動のひとつとして、安全で快適に暮らしている人々に悲惨な戦争の犠牲について知らせ、それを拒否するように変えていかなければなりません。
私たち家族は全米を駆け巡ってきました。メディアに登場し、記事を書き、ペンタゴンの武装警備員からは追い払われ、テキサス州にある大統領の牧場前でキャンプを張り、大統領に訴えようともしました。ホワイトハウスの門にも立ちました。そこでは、誰も私たちの手紙を受け取ろうとすらしませんでしたが。上院・下院の議員たちと話をしてきました。オバマ議員には、兵士たちを帰国させるために全力を尽くすよう会ってお願いしました。私たちは数えきれないほどのデモや、ビジル(ろうそくと祈りの集会)に参加してきました。10代の若者たちが暴力に頼らず問題を解決することや、戦争の真の犠牲について学ぶことができる、平和ハイスクールの立ち上げにもかかわりました。私たち家族の中には、市民の不服従の行動によって逮捕された人たちもいます。
私たち家族は孤独ではありません。先頭に立っている人たちの多くは、これまで政治的な活動にかかわることのなかった兵士の母親たちです。その多くは、息子がイラクに派兵されたことに対して怒りを感じて活動を始めました。そして自分と同じように感じている人たちがいること、インターネットや集会を通じて戦争に反対するほかの母親、妻、姉妹や家族たちとつながることができることがわかったのです。こうした活動は、多くの人々にとってすばらしい学びの機会になっています。ブッシュ政権によるイラク戦争についての数々のひどい嘘にたいし、政治的に目覚める大きなきっかけになっています。
2005年初め、イラクで殺された兵士の家族がいくつか集まり、正式な組織を立ち上げることにしました。私たちはそれまで、息子を殺した戦争にたいし、個別に反対の声をあげていました。私たちは団結すればより効果的であるし、互いを支えあえると思ったのです。それが、「声をあげるゴールドスター家族の会」です。ゴールドスターとは戦死した家族に与えられる称号です。現在会員は100家族で、そのほとんどが母親です。母親たちは、戦争反対の大きな声をあげ、機会があるごとに亡くなった兵士について語っています。アメリカ政府とメディアは、犠牲になった兵士たちをたたえることばを口にするでしょうが、イラク帰還兵は医療手当てを得るために、政府を相手にたたかわなければならないのが現状です。遺族たちは多くの場合、嘘をつかれ軽く扱われています。
悲しいことに、大統領選挙では、平和構築ではなくイラクにおける軍事力学をかえることに焦点が当てられています。戦争は政治体制には全くといっていいほど教訓をもたらさなかったようで、人類への侮辱として扱われるのではなく、宣伝の道具になっています。
現在アメリかでは、多くの人がいまや戦争に反対だと言っていますが、財政的な問題により多くの関心を寄せています。原油価格とイラク戦争は直結した問題であるのに、アメリカ人の大多数が原油価格の値上がりばかりを心配しているのです。
この戦争を終わらせるための活動は、私たちすべてがつづけていかなければならないたたかいの一部にすぎません。政治的、経済的な問題を解決する手段として、他の人間を傷づけることを拒否する社会にしていくためのたたかいです。私たちは、あらゆる戦争で亡くなった、愛する人々を思い、これから生まれてくる子どもたちのために、このとりくみをおこなっていかなければなりません。私は、この人生をかけたたたかいに、みなさんとともにとりくんでいきます。