For a Peaceful, Just, and Sustainable World Free of Nuclear Weapons, Military Bases and War Womens Peace Fund Contributes to Developing Cooperation and Solidarity between Women of Japan and Women All around the World
Co-representative, Korean Women’s Associations United, ROK
International Symposium
戦争も核兵器もない平和で公正な世界へ‐いま女性たちの連帯と行動のとき
韓国女性の平和運動について話す機会をくださり、ありがとうございます。今日私は、戦争の危険と北東アジアの連帯の必要性についてお話します。
朝鮮半島には戦争の影が忍び寄っています。アメリカのブッシュ大統領はすでに北朝鮮を「悪の枢軸国」と特徴づけていますが、昨年10月16日にアメリカ国務省が、北朝鮮が核兵器開発計画をすすめていることを明らかにして以降、朝鮮半島ではいっそう緊張が高まりつつあります。北朝鮮はアメリカに、北朝鮮にたいする敵対政策を破棄し、北朝鮮を国として認めるように要求しています。この要求の具体的内容は、1)朝鮮半島で戦争が勃発することを防止せよ、2)北朝鮮にたいする経済制裁を止めよ、というもので、生き残りをかけたこの必死のたたかいに私たちは胸を痛めています。1994年の核兵器問題をめぐるたたかいのプロセスのなかで、朝鮮半島は戦争勃発の1歩手前までいきました。当時、在韓米軍司令官のギャリー・ラック将軍は、もし朝鮮半島で全面戦争が起こり、現在ある17基の原子炉のうち1基でも破壊されることになれば、韓国では100万人以上が死に、朝鮮半島全体が放射能に汚染されることになるだろうと警告しています。また2002年10月1日付けの韓国時報は、「USニュース&ワールド・リポート」というアメリカの週刊誌の記事を引用して、アメリカは、2002年9月に作成された「国家安全保障計画」に沿って、大量破壊兵器をなくすために北朝鮮を攻撃する計画をたてていたと報じています。この計画には、アメリカは同盟国である韓国の政府の事前承認がなくても北朝鮮を攻撃するという内容が含まれていました。この計画は草案の段階で破棄されましたが、朝鮮半島の私たちが直面する危険性を改めて裏付けるものです。このように衝撃的な報告があるにもかかわらず、朝鮮人民が平静を保っているのは不思議としか言えません。朝鮮半島での戦争は、たんに朝鮮半島にとどまらず、北東アジア全体の平和と力関係の均衡を破壊することになります。したがって、北東アジアの平和は、この地域の人民が全員で解決しなければならない問題です。朝鮮半島での戦争の危険性が高まってから、韓国人民の緊張と平和への願いはさらに強くなっています。
ポスト冷戦時代の特徴は、グローバル化とよばれる資本市場の国際化とコミュニケーションの機会のグローバル化です。このなかで、グローバル・ピープルやグローバル・カルチャーなど、グローバル化についての良いイメージが広がっています。しかし、このグローバル化の時代においても、ナショナリズムが強調され、民族間の争いがあちこちでおきています。同時に、他方ではEU(欧州連合)、NAFTA(北米自由貿易連合)、APEC(アジア太平洋経済協力)など、地域共通の利益に対応した地域連合体が生まれています。しかし、北東アジアでは国境紛争が増えつつあります。さらに、この地域には他の地域にはみられないほどの大きな文化のちがいがあります。中国と日本や、韓国と日本とのあいだの漁業領域をめぐる争い、竹島をめぐる領土問題、日韓の日本の歴史教科書問題、北朝鮮政府による日本人拉致問題などは、北東アジア地域でいまだに冷戦が続いていることを裏付けています。さらに、世界で広がっている人権問題にたいする関心や、国家安全保障から人間の安全保障へと変化している安全保障の見方は、北東アジアではまだ広がっていません。
ヨーロッパのNGOや市民社会とちがい、アジアの市民社会は軍備や平和維持の問題に積極的に関与することができませんでした。これはアジアでは、国家が軍備や国家安全保障についての決定権を独占しているからです。また、アジアの大国で根強い儒教の伝統や、アメリカによる個別化政策も重要な役割をはたしています。アジア諸国では、世論の監視、管理、操作などによって、軍事や安全保障問題については、市民社会の発言権が著しく弱められてきました。その結果、北東アジアでNGOが国境を越えた国際連帯を実現するのはとても困難になっています。たとえば韓国の有力なNGOである「参与連帯」「経済的正義のための市民連合」、「韓国環境運動連合」および全国に広がるネットワークをもつ「韓国女性団体連合」などは、環境、行政改革、選挙、性差別など国全体にかかわる問題については大きな影響力を行使することができました。しかし、これと比べて軍備や冷戦の回避などの問題についてみると、これらのNGOも積極的にかかわることができていません。同様に、第二次世界大戦以降、武装が禁止されている日本に、北東アジアにおける安全保障と平和維持のためのアメリカのパートナーの地位を与え、新たな軍拡ガイドラインによる条約を結ぶというアメリカの個別化政策は、何にもまして北東アジア諸国の団結を妨げる重大な要因となっています。言い換えれば、台湾と中国、韓国と北朝鮮、およびロシアと中国などのあいだにある二国間の軍事的緊張を制御する任務を日本に与えることで、アメリカは周辺諸国の強い抵抗をよび、これらの国の懸念をかきたてているのです。
特に、ポスト冷戦時代の到来は、それまでは共産主義に対抗するためにアメリカと連帯することを望んでいた北東アジアの国々、すなわち韓国と日本に、アメリカは帝国主義を強要しようとしているのではないかという疑念を抱かせました。特に、韓国のNGOとアメリカとのあいだには、米軍基地、環境汚染、実弾演習場、売春など一連の問題をめぐって争いが続いています。これらの問題を解決する過程でみせたアメリカの傲慢な態度は、アジア各国の人民の神経を逆撫でするものでした。
韓国社会は国内に駐屯する米軍が引き起こすさまざまな問題に、再び直面しています。問題の発端は、2006年1月19日に韓国政府が「拡散に対する安全保障構想(PSI)」でアメリカとの協力を発表したことです。しかし、これ以前に、韓国政府はすでにアメリカとの協力を決めていました。この問題に関連した重大な側面は、それ以前から韓国政府がいわゆる戦略的柔軟性に合意していたことです。これによって韓国に駐留する米軍は、その戦略的目的に必要と判断すればいつでも、どこにでも移動することができるようになったのです。もちろんアメリカは、韓国国民の意思に反してまで、北東アジアで発生する紛争に介入しないことを約束しました。しかし、ひとつ確かなことは、在韓米軍がアジアで軍事介入を開始することになれば、朝鮮半島はその軍事行動の足がかりにされることです。韓国において米軍の戦略的柔軟性を認めたうえPSIに参加するという盧武鉉政権の決定は、アメリカ主導の世界軍事戦略にたいする韓国の従属を加速化するだけにとどまらず、南北朝鮮の関係改善や暗礁に乗り上げている6カ国会談の再開をめざして続けられている努力に、深刻な問題を引き起こす可能性があります。
これらの政策の一環として、韓国、アメリカ両国政府はソウル市龍山(ヨンサン)地区にある第8米軍基地(EUSA)の平澤(ピョンテク)市への移転・拡張をめざしています。この準備期間の2006年5月3日に、韓国政府は15,000人の警官と兵士を動員し、50年以上もこの地区に住んでいた農民や、平和活動家を含む約1000人の移転に抗議する人々を強制的に退去させ、新しい米軍基地施設の建設予定地の回りに鉄条網のフェンスを建てました。このなかで514名が拘留され、そのうち37人が逮捕され、数百名が負傷しました。さらに、翌日の5月4日にこの弾圧に抗議するためにおこなわれたデモでも、数百名の参加者が拘留されました。新基地が以前より拡張されるのは、ソウル市街から南に移転するからというのが唯一の理由です。韓国のNGOは、韓国政府が軍事施設の移転費だけでなく、既存の基地による環境汚染の拡大防止の費用まで負担させられることに抗議しています。現在、韓国社会では怒りが巻き起こっています。
私たちは韓国国民だけでは、アメリカという大国の欲望に抵抗できないことを知っています。北朝鮮だけでなく他の北東アジア諸国にも向けられた「戦略的柔軟性」は、この地域の平和を脅かすものです。私たちは、いま、北東アジアと朝鮮半島の平和、そしてグローバル化のひきおこした諸問題と悪影響の是正のために、この地域の諸国間での国境をこえた連帯の必要性を痛感しています。朝鮮半島における分断と紛争の原因は、韓国と北朝鮮だけにあるのではなく、朝鮮半島を囲む大国のあいだの相互理解と深く結びついていることは疑いもありません。平和構築の努力が、各国の国境内にとどまっていたり、地域主義の枠内を出ることができないのなら、平和は決して実現することができないのは言うまでもありません。したがって、民族や国のちがいを超えた北東アジア諸国のNGOの連帯、ひいては世界の諸国間の連帯は重要な課題です。しかし、最も達成が急がれる課題は、北東アジアの平和を脅かす問題の解決策を見つけることにあります。
韓国では、統一運動にたいする強い情熱があります。しかし平和運動は十分に継続的におこなわれませんでした。平和運動を始めたのは女性たちでした。韓国の女性は、被爆者支援活動、軍事費削減運動、軍縮運動、そして1970年代からは催涙弾廃止運動などの運動の先頭に立ってきましたが、これらの運動は国民的には成功しませんでした。また、これらの活動は一時的で、永続的なものになりませんでした。「平和をつくる女性たちの会」が1977年につくられ、本格的な平和運動が始まり、「平和ネットワーク」もできました。しかし、これら組織の活動は活発ではありませんでした。「参与連帯」がつくられ、2002年のジェット戦闘機の購入計画であるFX計画に反対する運動に積極的に参加するようになると、韓国民主労働組合連合会をはじめ様々なNGOが連帯してたたかいました。アフガニスタン戦争、イラク戦争を経て、反戦運動は女性団体や平和ネットワークによって活発にすすめられるようになりました。平和運動はまだその歴史は浅いものの、以下のような活性化の目標を掲げています。
私たちは南北朝鮮で、北緯38度線を越えて平和の文化が満ち溢れるようになることを望んでいます。そのためには、南北朝鮮の国民のあいだに平和共存についての確信と信念があることが必要であり、それには南北朝鮮間の頻繁な人的交流が必要です。この交流のなかでは、南北朝鮮間のちがいを受け入れて理解し、その溝を埋める努力を重視する必要があります。しかし、交流においてもっと重要なのは、南北朝鮮に長期的な平和を定着させるために、朝鮮半島での平和定着のための具体的な課題は何かを明らかにすることです。
このような観点から、南北朝鮮の女性代表の会談がおこなわれてきました。南北間に民間レベルでの交流がなかった1991年から1993年にかけては、日本女性の支援を得て、東京、ソウル、ピョンヤンで、アジアの平和における女性の役割をテーマに会談が4回おこなわれました。最初の民間団体として、韓国女性運動の代表者が陸路でピョンヤンを訪問しています。(南北朝鮮首脳会議のあった)2000年6月15日以後、南北朝鮮の女性の交流はより頻繁におこなわれるようになりました。2001年の6月15日と8月15日(民族解放記念日)の記念式典からは、この交流は定期化しました。これらの記念式典をつうじて南北朝鮮の女性たちは会談する機会をもてるようになったのです。2002年10月には、クンガン山で「南北朝鮮統一女性会議」が700名の参加者で開催されました。同様の会議は、2005年9月にピョンヤンでも開催されました。300人の韓国女性が、北朝鮮を訪れ、就学前児童の学校、産科病院、女性の職場など女性関連の施設を見学することができました。これらの交流をつうじて南北朝鮮の女性は、互いのちがいを認識し、和解の段階で起こりえる多くの利害の対立に直面しました。こうして女性たちは思想的、政治的そして文化的なちがいを認め、受け入れることがいかに難しいかに気づいたのです。
これらの交流の他に、韓国女性は北朝鮮女性の援助を始めました。北朝鮮は、相次ぐ洪水(1995-96年)や干ばつ(1997年)による深刻な食料不足、社会資本の劣化、農業技術の遅れなどに苦しんでいます。そのためさまざまな韓国女性組織が、乳児用粉ミルク、医薬品、下着などを北朝鮮の女性や子供に送る運動を始めました。6・15合同委員会の女性本部は、北朝鮮の「民主女性連合」にバス2台と音響設備を送り、北朝鮮の女性団体を直接に支援しています。また韓国女性は北朝鮮に製パン機や原料を送り、ピョンヤンの製パン工場は毎日約1万個のパンを生産し、託児所の子供たちに配給できるようになりました。経済的自立度の低い女性からの募金は困難なため、韓国では女性からの募金は男性の募金額には達しませんでした。
朝鮮半島に平和の機構をつくるプロセスで超大国が和平を妨害した場合、女性はこれらの勢力を打ち負かさなければなりません。東アジアに平和の機構が実現できなければ、朝鮮半島の平和は期待できません。そのためNGOは多国間外交によって北東アジアにバランスのとれた平和機構を実現するめに、圧力をかけなければなりません。言い換えれば、アメリカや日本などだけを対象とした外交で朝鮮半島の平和の実現が困難になった場合、私たちは批判の声をあげる必要があります。特にアメリカあるいは周辺国が南北朝鮮の友好関係に介入した場合、私たちはさまざまな方法で、韓国および海外の世論を動員するための宣伝役をはたさなければなりません。
同様に、私たちは、自分たちの国の土地におかれた大国の軍事基地内でおきている一般人にたいする人権侵害問題にも、積極的に取り組まなければなりません。女性たちは、(米軍実弾射撃演習場近くの)梅香里(メヒャンニ)の住民の苦しみや、米軍のタンクにひき殺された中学生少女たちの死をつうじて表面化した、韓国国民の生活権の制限や米軍基地周辺で売春する韓国女性が受けた暴力などの問題でたたかってきました。これら過去数年間の女性たちのたたかいは、平和が与えられるものではなく、自分たちで守らなければならないものであることを示しています。女性は戦争の最大の被害者であり、女性による社会のさまざまなレベルでの活動は、人の心により強く訴える力をもつことができます。なぜなら女性たちは、平和を愛するからこそ、人を思いやり大切にする役割をはたしているからです。
平和にたいする感受性を高め、様々なちがいを受入れる寛容な態度を育てるためには、平和教育が大切です。韓国で平和運動の先頭にたってきた女性は、平和教育でもまた先頭に立っています。「平和をつくる女性の会」は、各種の平和教育プログラムを開発しました。1999年からは「女性と平和アカデミー」という平和学校を定期的に開催するとともに、サイバー平和教育や再統一をテーマにした子ども向けの巡回人形劇、ティーンエージャー向けのピース・キャンプなどをおこなって、平和能力を向上させる技術を身につけ、国際的な平和問題を理解することを促進しています。さらに、個人の心に宿る非平和的な傾向を、平和を追求する傾向へと転換させることによって個人の平和を大切にする心を育てるために「ピース・マインド・トレーニング」を主催しました。しかし、最も重要なのは「アメリカフレンズ奉仕委員会」の支援で、「平和をつくる女性の会」「韓国女性団体連合」および「統一平和全国会議」が、「紛争解決と寛容プログラム」において人々に会談や交渉や仲裁を体験させ、互いのちがいを理解させ、平和教育の専門家を育成していることです。これらの専門家はソウル市内にある学校の教頭のトレーニングにも起用され、学校に平和教育を普及するうえで重要な役割をはたしました。「平和をつくる女性の会」は現在、公教育に平和教育を普及する方法を見つけようと、統一された平和教育の方法を開発する研究プロジェクトをすすめています。この平和教育の試みは、韓国社会の一部でしかおこなわれていませんが、将来的にはもっと多くの女性のあいだに広がらなければなりません。
韓国社会における平和文化の形成においても、私たち女性は先頭に立たなければなりません。半世紀におよぶ分断のあいだ、南北朝鮮のあいだの敵意は強まり、また急速な経済発展は社会的な緊張を高めました。分断された国内ではどこでも軍国主義がはばをきかせ、私たちの生活、意識、生活スタイルは、意識的にも無意識的にも、軍事色が濃くなっていました。この軍国主義は女性の生活にも大きな傷跡を残し、売春、レイプ、家庭内暴力などが社会に横行するようになりました。したがって朝鮮半島の平和は、政策や大国だけを相手にした外交では実現できず、私たちが平和な心をもち、平和に暮らすことを選択してはじめて実現できるものです。そのため日常生活における平和は、平和と共存の出発点であり、NGOは平和文化の普及の先頭に立たなければなりません。特に、私たちは反軍国主義的な文化運動をすすめ、分断の考えを克服し、敵対する相手とも意思疎通をはかる態度を学び、相互理解の文化をつくりださなければなりません。
すでにユネスコは2000年を「世界平和・文化年」と宣言して、様々な平和と文化のキャンペーンをおこないました。この一環として「平和をつくる女性の会」はおもちゃの武器を平和を象徴するおもちゃと交換するイベントを開催し、平和をつくる女性の会の「生活ガイドライン」を発表して、さまざまなキャンペーンをおこないました。また、ベクルン島、チュルウォン地域、ガングア島、パンムンジュン、メハンリなど戦争のあった地域や軍国主義の被害を受けた地域を支援するピース・ツアーを実施して、戦争や暴力についての実践訓練をおこない、同時に「これまでとはちがうレジャー文化」をつくる試みをおこないました。このピース・ツアーは大衆に平和文化を広めることに重要な貢献をしました。「ピース・フェスティバル」や様々な平和や文化のイベント、校内暴力をなくすための父母を対象としたキャンペーンなどをつうじて、NGOは日常生活に平和を実現する必要があります。
私たちは話し合いによって韓国国内での意見のちがいを少なくしなければなりません。朝鮮半島の平和のためにも、韓国のなかでの話し合いは、南北朝鮮間の友好関係や国際協調に勝るとも劣らないくらい重要です。私たちは、南北朝鮮問題の解決が、北朝鮮との紛争を解決するどころか、国内の党派的な政治家や自分の有利な立場を守ろうとする一部の特権的な勢力のあいだの紛争になってしまうことに、あまりにも多く失望させられてきました。また、朝鮮半島の平和の定着や北朝鮮との統一問題に関しての韓国国民の意見も分かれています。さらに、朝鮮戦争で朝鮮民族同士の殺し合いがあった影響で、怒りや感情の爆発などの反応がおこることもしばしばです。したがって道理をわきまえた意見を取り入れたり、他人のことなる意見を受入れたりして、さまざまな意見について話し合い、結論に到達するという実践をすることこそが民主主義実現への近道です。しかし、南北朝鮮の問題にかんする話し合いにたいしては分別ある態度をとるようにもっと努力する必要があります。ちがいを理解してこそ、合意にこぎつけることができ、そうすれば、まず韓国内での平和が実現できるでしょう。韓国から意見の分裂や感情的な対立がなくなったときに、はじめて私たちは南北朝鮮の平和的な関係を確立することができるでしょう。
また、女性たちは韓国社会での分裂や紛争を解決することに努力を傾けています。これは一つひとつの組織と直接連絡を取り話し合いをもったり、共同プロジェクトをするというやり方ではなく、いくつかの組織を集めて連帯組織をつくることによってすすめられています。「韓国和解協力協議会」の女性委員会と「6・15朝鮮人民合同委員会」の女性本部は、保守、リベラル、宗教団体とともに話し合い、ピース・ツアー、再統一教育などに参加しています。これらの交流は、女性に、互いのちがいを認めながら、コミュニケーション、仲裁、合意の道を探る機会を提供するものです。
それでは北東アジアにおける平和をめざす国際連帯について、NGOの運動の現状はどうなっているでしょうか。この運動を活性化し平和に貢献する方法にはどんなものがあるでしょうか。先に述べたように、北東アジアの様々な国のあいだの交流、会議、話し合いは、冷戦の遺産によって長期間、中断されていました。中国、ソ連、北朝鮮との純粋に民間レベルでの交流は、いくつかの全国組織や諜報機関をつうじたもの以外には、不可能でした。さらに、これらの国には本格的なNGOが存在していません。そのため、韓国と日本、日本とアメリカ、そして最近ではロシアと韓国、ロシアと日本などのあいだでは北東アジアの平和のための国際連帯に関して活発な交流が可能ですが、そのような交流は実現できていません。ヨーロッパは2つの世界大戦を経験した後、21世紀に入ってから欧州連合と通貨の統一を選択し、諸国間を隔てる壁を低くしていますが、アジア諸国については国家間の競争はむしろ激しくなっています。
韓国と日本との連帯活動は北東アジアの平和実現のために非常に重要です。特に日本はアメリカと共同してアジアの防衛を担当する国として台頭し、武装を始めてからは日本の役割はさらに重要になりました。アメリカと日本が21世紀になっても覇権戦略を重視すれば、日本と中国との対立は激化するでしょうし、中国とロシアが手を結べば北東アジア諸国間の対立も激化するでしょう。したがて、日本の市民社会は、日本政府にたいし東アジアでの平和実現のために正しい役割を果たすよう要求し、影響力を行使する必要があります。
しかし日本は、第2次世界大戦中の植民地化と戦争への自らの責任について、アジアの国々にたいし謝罪も補償も行なっていません。ヨーロッパの場合は、法的レベルで戦後責任が果たされただけでなく、平和の文化の実現というレベルで過去の問題が積極的に解決されました。そして歴史家の間で歴史教科書について活発な議論が行われています。戦勝国が第二次世界大戦中被害を受けた国々だったからです。しかし戦後、占領者であるアメリカとの協力体制を確立する一方、アジアでいちはやく経済発展をとげた日本は、むしろ戦勝国に近い立場をとりました。さらに、戦争中被害を受けた国々は輸出中心の工業化プロセスのなかで、日本に経済的に依存しました。韓国の場合は、なんら国民を代表する権限をもたない軍事独裁政権が、戦争犯罪にたいする日本の賠償の問題について、密室での交渉を行いました。
さらに日本国民が広島・長崎への原爆投下により、加害者としてよりむしろ被害者としての意識を強くもつようになったことも、日本が過去の問題を解決し、北東アジアに平和を実現する上で積極的な役割を果たすことができないことの原因になりました。アジアでの平和運動は、被爆者とつながった日本での核兵器反対の行動から始まりました。しかし、日本の反核運動は、戦争の賠償問題にとりくむアジアのNGOにたいし冷ややかで、このことは、日本の市民セクターが加害者としての日本の責任について、確固とした立場を築けていないことを示しています。結果として、日本の反核平和運動はおもにヨーロッパの国々との連帯し、アジア諸国との連帯は限られています。日本の女性や平和運動は韓国のNGOとの連帯を積極的にすすめているとはいえ、北東アジアの平和をめざす韓国と日本の連帯という点では、全体として一部の学者や宗教組織にとどまっています。
加害国によるこうした被害国への賠償と謝罪をもとめる活動は、慰安婦にされた女性被害者のための女性たちの運動をつうじてアジアレベルで連帯ができていくことにより、国際的に注目されるようになりました。ボスニアでの戦争中に起こった残虐な集団レイプともかかわって、慰安婦の問題は国際的な注目を集めたのですが、それはちょうど性暴力をめぐり国際的にフェミニズムの関心が高まっていた時期でした。この問題は性暴力に対しもっと積極的な措置をとる必要性を人々に自覚させただけでなく、女性の戦争に反対する平和運動につながりました。特に、慰安婦の運動はこの問題を当時国際的に議論されていた性暴力の問題と結びつけたことで、成功をおさめました。国内で慰安婦にされた女性たちへの謝罪と補償を要求する運動として始まったこの運動は、アジアにおける第二次世界大戦中の女性被害者の連帯を発展させ、1995年の北京世界女性会議と2000年の北京+5でも重要な論点としてとりあげられ、2000年12月の国際女性戦犯法廷につながっていきました。この国際法廷で、日本の裕仁天皇の戦争犯罪が確認されたのです。さらにこの運動は、日本政府が戦争責任を認め補償することをもとめて、国際司法裁判所と国連人権委員会に日本政府を提訴しています。こうして、慰安婦問題での女性の活動は、アジア諸国の連帯をつくっていくうえでよい見本になりました。ですから、訴訟に続いて北東アジアに平和を実現するためにいっそう積極的な連帯の努力が期待されています。慰安婦にされた被害者への補償問題でのアジアの連帯は、アジアにおける平和運動の足がかりをつくり、補償という単一の問題を超えて、戦争に反対する平和運動へと広がっています。
韓国とアメリカ、韓国と日本の間の交流はこれまで、学生、学者、宗教者、政治家や芸術家が中心でした。市民運動を中心にNGOの間に宗教者への連帯は存在していましたが、彼らの活動は活発ではありませんでした。特に共同のとりくみは何か火急の問題が起こったときしか、発展しませんでした。来ては去り、ということが続きました。朝鮮半島と北東アジアに平和を実現する活動は、いつくもの問題を中心において段階的に進めるというよりも、一つの大きな目標をもって系統的に行なわれるべきです。しかし、この目標を追求する恒常的な組織と機構がありません。日本、アメリカ、あるいは北朝鮮や中国など他の東アジアの国のような国の仲介を通じて、戦略を確立する必要があります。韓国、アメリカ、日本、台湾の交流と連帯を続けることがもとめられています。特に、朝鮮半島の平和のために、アメリカのNGOの支援は、緊急に必要なものです。
しかし、ひとつには反日的な態度や反米主義、もうひとつには言語の問題や文化的孤立により、国際的な連帯をつくっていくには大きな障害や困難があります。韓国のNGOは専門家、予算、外国語に熟達している活動家の不足により、国際化の流れに遅れをとっています。韓国のNGOは莫大な予算を投入してさまざまな国際会議を招致していますが、会議の形式や開催にのみ注目が集まり、ほとんどの場合議論や核となる合意事項につながりません。加えてこうしたNGOはコストを抑えるために最小限の専従しかおいてないために、専従者はオーバーワーク状態で、国際連帯のための会議に派遣することも困難です。こうした問題を考慮し、参与連帯や韓国女性団体連合などいくつかのNGOは最近、国際連帯についての専門家を養成するために活動家をフィリピンでの外国語研修に派遣しました。
地域の連帯をすすめるためには、北東アジアで戦争を防止し平和を実現することが必要不可欠です。そのために、私たちは日本と韓国で積極的に平和運動をになう主要な組織や人を見定め、必要に応じて共同のキャンペーンをおこなうことがもとめられています。
この報告の中で、ひとつの国の中での女性運動の課題について、さまざまな活動を提案しました。韓国では女性の平和運動と人々の日常生活の問題を結びつけ、この運動を大衆的な運動に転換する方法を見つけることが、緊急の課題です。ヨーロッパ諸国にくらべて、韓国の女性の間にはまだ韓国の平和への敏感性が不足しています。私たちは平和を実現し軍国主義とたたかう方法を見つける必要があります。
韓国のNGOに関して言えば、私たちは平和運動にくらべて統一運動がはるかに大きな問題であり、国粋主義的な情熱と結びついていることを自覚する必要があります。私たち女性運動は、平和運動でもっと多くの活動が行なわれるべきだと考えています。そして韓国女性は統一運動におけるナショナリズムへの情熱にたいし、批判を始めています。最後に、女性の視点から、私たちは「統一による平和」というよりむしろ「平和による統一への道」に進むべきだといいたいと思います。
すでに述べたように、北東アジアに平和を実現するうえで女性運動のもっとも緊急の課題は、日本、韓国、台湾、中国の女性のなかに連帯と強力をすすめることです。これに関して、この報告は予算の確保、関連する労働者の訓練、インターネットの普及をするための具体的な手立てについて考えようと提起しています。まず日本と韓国の女性運動が力をあわせこれらの提起を実現しましょう。